助けてください
やったとて所詮、たいしてろくな結果にはならないだろうという見通ししかたたない場合、
本当はやらないといけないはずのことをできる限り先送りしようとしてしまいます。そして先送りしている間もずっと、その、
先送りしたまんまの、やったとてしょせんろくな結果にはならないはずのことが気に重くのしかかり続け、何をやっても気が晴れません。
だったら、さっさと懸案の事柄をちゃっちゃと片づけてしまえばいいのですが、
それはやっぱりできないまんまです。
やらないから気が重い、
でも
やったところでろくな結果にはならない
そして
やらないままにしておくことも心に重い負担となる
こういうのジレンマというんでしょうか?
これは、私には、現在の日本に蔓延する鬱症状の在り方の原型のように見えるのです。
具体例
木瓜(ぼけ)の果実がテーブルの上にいくつかほおってある。
伸ばし放題の木瓜の木に大人のげんこつくらいの実が四つなったのです。
それらは、食用にするにはあまりにもくどい香りを放っていて、
ネットで調べたら、生食は不可。かろうじてジャムもしくは果実酒が用途だそう。
ジャムにしようと思うのだけれども、したところでたいしてうまくならないんだろう、
そして、誰も食べたがらないんだろう、なんて思うとなかなか調理することができない。
また、イチゴやイチジクと違って、鍋に砂糖と一緒に帆織り込めば十分でできるようなジャムと違い、湯に浸して皮むき、それから裏ごしなどの余分な一手間二手間がかかるので、
めんどくさい。
そんなこと悩んでるうちに日に日に果実の表皮にしわが寄ってきた。このままでは壮年のげんこつのような果実もしなびてテーブルの上で朽ちてしまうかもしれない。
でも、めんどい手間を労してジャム化するにはやはり気が重い。
そして、おそらく、木瓜(ぼけ)ジャムがポピュラーでないことからも、食べたところで所詮、、、な味しかしないだろうことが作業にとりかかろうとする気をくじく。
どこにも動き出せない、
もうすぐショウジョウバエが果皮の溶けたところに集りはじめるだろう。